クルマの買い替え

初めて新車で購入した、平成15年式 HONDA・ザッツターボ・ブラック色。購入価格は諸経費含み150万円ほどでした。当時四角い車がすきで、小回りの利く軽四自動車にしました。
車内はほとんど物も入れずシンプルに。それでも、事故等はなく、オイル交換も5,000Kmに一回行っていたためエンジンの故障等はなかったけどタイヤのバーストは二回ほどありました。
バースト状態のタイヤで走行できないので車の保険にJAFサービスが付加されていたので一度は利用しました。

タイミングベルトにも問題はありませんでした。

ここで調べてきちんと対応しましたから。

タイミングベルト 交換費用

 

二度目バーストした時は、季節は梅雨時だったので、じめじめした気候に助長されものすごく落ち込んでいたのを思い出します。
知人がタイヤ商会を経営していたのでそちらに連絡して車を乗せるトラックで現場まで迎えに来てくれることになりました。
仕事中の出来事です。これが営業職だとクライアントの打ち合わせ時間等が気になりもっと精神的に焦るかもしれません。
実は私も営業の途中で事務所に帰る途中でした。社用車ではなかったので逆に変な余裕があったものです。
当時は今みたいにスマホとかはなく待っている間、仕事の資料の見直しや家族に電話したり30分ほどあれやこれやと落ち着かなかったものでした。
ザッツはインチアップしてあったので、2、3日在庫がないためタイヤ商会にあずけることに・・・
旅好きだったため走行距離20万km超えたので買い替えを考慮しました。車自体はどこも壊れてはいなかったが、遠出の旅、車中泊がしたくなり買い替えを決めました。
喫煙歴がなかったので車内は比較的綺麗です。あと、デイ―ラ―車検を受けていました。ただ、やはり軽四で20万km超えていたので下取り価格は100,000円。
普通だったらこの走行距離だとほとんど値がつかないらしいのですが。
新しい車は、キャンピングカーではなく中古のボンゴバン。自分でカスタマイズしても悔いのないよう、中古で購入しました。型式は平成13年式。今ではもう販売されていないものです。
インターネットで探し、新潟の中古車販売で購入。諸経費込みで40万円。
他県なので下見してザッツの買い取り価格を査定してもらい、即購入手続きへ。後日、当県の支店にてザッツと交換で納車。
購入した当時のボンゴの走行距離は9万km。ザッツターボに乗っていた時のスピード感はないが故障もなく現在に至ります。
購入する前のオーナーは農業を営んでいらしたらしく、社内の装備は純正そのまま。逆にカスタマイズするにはもってこいのボンゴ。
ただ、小回りの利いたザッツ。フットワークが軽かったザッツ。
齢をとるのは薬・・・ゆっくり、のんびり、車内をカスタマイズしてる時、お気に入りの服をどこにしまったかな的な思いがよみがえります。


埼京線

埼京線で毎日勤務先である新宿駅まで電車通勤していますが、とにかく辛いです。
埼京線は日本を走る電車の中でも特に混雑することで有名です。そして痴漢が多いことでもよく知られています。

 

私も高校時代から埼京線を使っていますが痴漢に合うことなんて日常茶飯事。体を反らすことすらできないくらいに混雑しています。

 

赤羽駅で乗車する人も沢山いるので常に長蛇の列で、たまに乗りきれず1本見送ることもあります。
ぎゅうぎゅう詰めの車内では余裕があれば携帯電話をいじりますができない場合はイヤホンで音楽をきいてただじっと時間が過ぎるのを待ちます。

最近は韓国のアイドルtwiceをよく聞いています。知らないおじさんの背中に顔がピッタリくっついて非常に不快です。
そんな中で途中停まる板橋駅と十条駅。ほとんど誰も乗らないのでできれば通過してほしいといつも思います。

 

乗車時間わずか12分ですが、それすら苦痛なのです。新宿駅南口改札から外に出て徒歩20分歩いたところに私の勤務先があります。
企業受付をしているので身だしなみが重要なのですが、通勤でボロボロになってしまうため、会社に着いたら,まず化粧と髪の毛を治します。気持ちよく通勤できればどんなにいいだろうといつも思います。
日本一乗客の多い新宿駅に日本一混雑する埼京線で通勤する、これほどストレスなことはありません。
毎日乗客同士が喧嘩しています。ぶつかっても何も言いません。みんな下を向いて歩いています。
東京の悪い部分が全部集約されているかのような悪い空気が漂っています。
通勤するだけで疲れてしまいます。私は来年地方へ引っ越すことが決まっています。
もうこの最恐に最強な埼京線で通勤しなくていいと思うと嬉しいです。あと少しストレスを抱えながら通勤します。


埼玉のサウナとヨガスタジオ

私は埼玉県の草加市に住んでいます。
小さな頃から家族でよく温泉旅行へ行ったりするほどに温泉施設が大好きだったわたしは、美意識に目覚めたと同時に温泉や岩盤浴をしに色々な場所へ行くことが増えるようになりました。
そんなとき、気になっていた温泉施設「竜泉寺の湯」が近所にできることが決まり、絶対に行ってやると決めていました。
なぜなら、「竜泉寺の湯」には一度も行ったことがなかったものの、大きくて綺麗な温泉だということでとても有名だったので前々から行ってみたいと思っていたからです。
そんな「竜泉寺の湯」草加谷塚店ができたのは、2016年の9月のことです。嬉しいことに、草加駅から竜泉寺の湯を利用する方のための送迎バスが出されていたので利用しました。
だいたい10分くらいで、到着することができましたし、お金もかからなかったので本当に良かったです。この送迎バスは草加駅と松原団地駅と竜泉寺の湯草加谷塚店をつないでいて、1時間に2本のペースで走っていますのでとても利便性が高いですよね!もともと駅から離れた場所にあって行きづらいことだと思いますのでぜひ、竜泉寺の湯へ行くのならば送迎バスを利用して行くべきであると思います。初めて行ったときは温泉施設巡りが大好きで、その面白さと楽しさをわたしに教えてくれたお母さんと一緒に行きました。
費用はだいたいお風呂だけなら700円くらい、岩盤浴をするなら1400円くらい必要です。高くもなく低くもない価格ではありますが、コストパフォーマンスを考えるとここは本当にお得だとわたしは感じました。ここの温泉の種類の豊富さは本当に素晴らしく、一番の売りである炭酸泉は本当に快適です。他の温泉施設とは違って炭酸の質が濃い上に、炭酸の強さによって違う風呂があったりするので飽きることなく楽しむことができます。
更にはサウナもありまして、草加谷塚店には柑橘の匂いがする塩サウナと普通のサウナの2種類がありました。

塩サウナは、サウナでにじみ出てきた汗を塩となじませることによって、余計な老廃物を驚くほどに取り除いてくれます。だから、終わった後に肌が本当にツルツルになるんです!これは本当にみなさんに体験してもらいたいです。わたしがこの竜泉寺の湯の草加谷塚店にきて面白いと思ったことは、この竜泉寺の湯にて永遠とロビーで流れているBGMです。
温泉施設のような娯楽施設では比較的リラックスしやすいクラシック音楽が流れるのではないかと思いがちですが、ここでは竜泉寺の湯の歌(?)のようなテーマソングが永遠と繰り返し流れているのです。ある程度ウキウキした感じの楽しい雰囲気のメロディで、それがあまりにも短い曲なので頭の中から離れなくなるのです。その曲に洗脳された子どもたちが鼻歌であしらうように歌いながら駆け回っていて、少し面白かったです。と、他人を笑っているのもつかの間で、わたしとお母さんも竜泉寺の湯を出た後、頭からずっと竜泉寺の湯のテーマソングが離れなくなったのです。
それも次の日、そのまた次の日もそれは続きました。
これは絶対店の名前忘れることはないなと思いました(笑)その曲は、「ここはお風呂のパラダイス?りゅーうせんじのゆっ♪」といった感じのすごく短いフレーズなのですが、それでも頭から離れることはなくて洗脳されてしまいました。ある意味明るい気持ちになってリラックスできたので、新しい戦略なのではないかとも感じました。ぜひ、竜泉寺の湯へ行ってこのテーマソングをひたすらに飽きるほどに聴いてみてほしいなとわたしは思います。すると、自分がいかに竜泉寺の湯に洗脳されてしまったかよくわかると思います。
リピーターになる理由になることでしょう。

 

それでサウナも良いのですが、同じ汗を流すならホットヨガの方が良いような気が、最近しています。

http://xn--mck2bp8e3c5744avkzb.xyz/

これなんか面白そう。

 

でも、草加市には、ヨガスタジオは全然ないみたいですね。やっぱり大宮くらいまで行かないと、きちんとした店舗はないようです。

 


父の性格により、振り回された私たち家族

私の家族は父、母、私そして妹の4人家族でした。
当時は私は16歳であり、私の父は47歳、母が45歳、妹が13歳でした。

 

父は会社員であり、母はパートに行っておりました。当時、私たち家族は家賃7万円ぐらいの賃貸のアパートに住んでいました。

 

私の父は普段はとても温厚な人物です。しかし、とても気が短く、そして神経質な部分があり、何か自分の考えていることにそぐわないことがあると怒り出すような父でした。しかし、普段はとても温厚で家族としても父の性格を知りつつも仲のよい家族だったと思います。

 

しかし、今思えば母はとても苦労していたのではと思います。

 

 

父は母に対して、結構きつい言い方をしていました。何かちょっとしたミスを母がした場合も父はひどく罵声を母に浴びせていました。

 

私と妹はその光景があまり好きではなく、いつもなぜ母はそこまで我慢するのかと思っておりました。もちろん今になって思えば、簡単に離婚できるような時代でもなく、また離婚したとしても生活ができるほど甘い状態ではなかったためだと思います。

そして、私たち家族が家族であるために、母は我慢していたのだと思います。
父は短気な人物ではありましたが、普段はとてもよい父親でもありました。
遊びにも連れて行ってくれたし、家族のことも考えてくれていました。ただ、ちょっとした性格が問題だっただけなのです。そして、その性格は母にとってはきつくても、我慢するしかない状態だったのだと思います。

母やよく、父に罵声をあびさせられた後、一人で泣いていました。その光景は子供ながらに見るのがとても辛かったです。妹はいつも母を慰めていました。私も父が憎くなるときもありました。

 

しかし、子供ながらに何かできるわけでもなく、ひたすら見てみぬ振りをしていました。もちろん、母は泣き止むと気丈にふるまっており、私たち子供を悲しませないようにしてくれていました。私が、高校3年生のとき、父が私に対し、怒鳴り声をあげたことがありました。私と父の意見の食い違いにより、父が私に対して説き伏せるように最初は説明していたのですが、やはり父の意見に納得できず、私は初めて父の背いたのです。もちろんこれまで母に対する罵声などの姿もあり、そのことを含めて私なりに積もり積もった結果なのですが、父を許すことができずはむかってしまいました。

 

父は私に対し、罵声をあびせてきました。もちろん、父の怒り方は尋常ではなく、私はこわくなりました。
母と妹も私が父に言われている姿をみて、何も言えず、泣いておりました。そして、父に母がもうやめてくださいといったのですが、今度は母に対して母の教育が悪いため、私がおかしくなったと責め始めたのです。私は父の発言が許せませんでした。母は泣き崩れてしまい、私は母と妹を連れて家を出ようと考えました。決して行く当てもなかったのですが、この家にいては父の暴言に屈するだけだと思ったのです。もちろん、父のことは好きです。しかし、家族を壊してしまう父は嫌いでした。その父を裏切ってしまうことを心から嫌だったのですが、当時の父を捨てることを私はできるぐらい気持ちが磨り減っておりました。

 

そして、その父といったん距離を置くべく、私と母と妹は外にでました。そして母の姉の家に行き、2日間ほどとめてもらったのです。そしてその晩、母と話をしました。このままここにいた方がよいのではないか、母も我慢の限界が来ているのではないかなど確認しました。しかし、母は違いました。父の性格は分かってはいる、しかし、家族を大切にしている父も知っている、だから、父を捨てることはできないし、それ以前に家族を壊すことはできないといいました。

 

私は、母の言葉がきれいごとのようにも感じました。
母は離婚したあと生きていけないことの不安さからきれいごとを言っているだけなのではと考えていました。
しかし、今にして思えば、母は本当に父のことが好きだったんだと、そして、家族を本当に大切にしていたんだと思います。私は当時そのことを分かっておりませんでした。頭では分かっていても心が追いついておりませんでした。そのため、父の態度、母の態度が許せませんでした。そして、家族を壊す方が一番みんな幸せなのではと考えてしまっていました。しかし、そうではなかったのです。母は父を大切に思っており、父も母を大切にしておりました。ただ、父の性格の一部が家族を少しだけ悪くしていたのです。もちろん、その父の性格の一部はとても許される部分ではないと思います。今でいうDVに該当するのかもしれません。そのためそのDVを分かりつつ、何ともできずに私たち家族はみんな苦しんでいたのです。父は決して自分の性格が分かっていなかったわけではないと思います。父も苦しんでいたと思います。母から後で聞いた話ですが、父は私たち家族に暴言をはいた後、とても後悔していたことを聞きました。

 

 

そして、友人に自分の行ってきた行為を話していたそうです。
ある意味、友人にカウンセリングしてもらっていたような状態だったらしいです。その姿を母は知っていたから家族の形を継続できていたのかもしれません。母は父を責めるようなことはありませんでした。そして、父はその件がきっかけで、これまでのような暴言はなくなりました。おそらく、その友人に言われたのだと思います。そして父は自分なりに改心したのだと思います。私は浅はかな自分の気持ちで家族を壊そうとした自分が許せませんでした。父も父なりに苦しんでいたということを知り、その家族を何とか守ろうとした母を知り、私は涙が出てきたのを憶えております。私は父の変わった今の姿をみて、たまに昔の父を想像します。あのころ、仕事などがもしかしたら大変だったのかな、何か嫌なことがあったのかな、そのため、家族に対してあんな態度をとってしまっていたのかもなと考えることがあります。そして、自分なりに自分を変えてくれた父に対して、今は感謝しております。自分を押し殺すことは大変だったと思いますが、そうすることで家族を守ってくれたんだと今は思っております。